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幼稚園までの思い出(この頃から駄目だった)



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画像はぱくたそから、hira様よりお借りしました。こんな記事に使ってしまいすみません 笑。



前回の続き。
幼稚園までの話。「〇〇ちゃん」が私。

まあそんなに細かく書くこともないんだけれど。
あとついでに書いておくと、私は早生まれです。関係あるかな。


入園前から人見知りで、公園なんかでも他の子どもに話しけられるのも嫌でした。
お母さんと2人が一番安心で楽しかった。
誰もいない砂場でbb弾の弾を拾うのが好きでした。

自分も子供でしたが、当時から同年齢の子のがさつな感じや、特有の甲高い声が嫌いでした。

そんな訳で、いきなり知らない子どもたちと園舎に詰められて過ごすのは大変に苦痛でした。
いまでも嫌な記憶として、途切れ途切れに思い出せてしまいます。
あと当時からすでに朝起きるのがきつかったです…。

当時からタオルケットが手放せなかったのですが、それも辛かった。
お母さんもタオルケットもない幼稚園になんか行きたくなかった。
もう30歳になりますが、いまだに家ではタオルケットが手放せないです。




このころから碌な思い出が無い。

当時はお姫様ごっこや、セーラームーンごっこが流行っていたのですが、
私はだいたい召使か妖魔(セーラームーンのモブ敵)でした。
なんだか言い負かされちゃって。

「うん、次は〇〇ちゃんがセーラームーンでいいから」とかいうのですが、
結局いつも順番回ってこないまま。
本当はわたしもセーラー戦士に変身したかったです。


お姫様ごっこ、というのは2種類で、


①全員がお姫様

みんな△△王国のお姫様(+召使)で、今日はみんなで集まってお茶会、というシチュエーション。
みんなで輪になって、ドレスがきれいねー、指輪がすてきねー、と言いあうやつ。

何故か私は召使率が高かった。「お茶をお持ちしました」とかのセリフを強要されてた。
みんな、おもちゃのティーセットとか持ってるんだけど、私だけお盆代わりの粘土板。


②ディズニーの白雪姫みたいなやつ

こっちは、
①攫われる王女、②それを助ける王子、③王女を攫った魔女王、④←の手下

で、だいたい私は④だった。
場合によっては、というかメンバーの力関係によっては王女や王子が2人だったり3人だったりしたこともあった。
手下ポジションが嫌というより、皆が私の意見を聞いてくれない事の方が嫌でした。


当時はまだ「人は嫌い」だったけど、「仲良くしなければいけない」とも思っていたので、嫌々ながら参加してました。
今でこそアレですがこの頃はまだ、私もお姫様とかセーラー戦士になりたかったのです。


今思えばお姫様ごっこって、これ既にスクールカーストのひな型ですね。
当時から最底辺だったと思うと悲しくなります。

ほとんどの大人は幼稚園児を子どもだと思っていると思いますが、
すでに女子は女子特有?の嫌な感じを発してました。
お遊戯で男子の取り合いとかしてたし。

クオーター、というのか、きれいな顔した男の子(父親が船乗りの金持ち、決して漁師とかではない)がいたのですが、そいつめっちゃもててましたもの。
誰がお昼の時そいつの隣になるか、とか。誰が体操の時ペアになるか、とか。

その子とは途中まで帰る方角が同じで、母親同士が割と仲良かったので一緒に帰ることも多かったのですが、なにかとあるとそれを引き合いに出されて面倒だった。
〇〇のくせに、なんでクオーター君と帰ってるの、みたいな。

幼稚園児って、多分まだ5~6歳だと思うのですが、みんな盛りがつくの早すぎ。
盛るといえば、スカートめくりも流行ってた。本当にみんな嫌だった。



幼稚園の活動の中では、絵を描くのが唯一楽しかったので、外遊びを強制されるのが嫌でした。
なんか絵を描くのが好きな子どもって、こういう人多いよね。今見ると。

後、遠足とか芋ほりとか、プラネタリウムは楽しかった。
嫌いな子どもたちとは一緒でも、知らない場所に行くのは割と楽しかった。
やばいこの時点でもう人格の基礎が出来上がっているね。

逆にお遊戯とか外遊びとか、「歌の時間」とかは最悪だった。
当時は認識してなかったけど、もう集団行動にストレス感じてました。



後、この時私と同じように、既に集団生活に馴染めない子どもが他にもいたのですが、彼は中学で不登校になってました。
高校は別だったので知らんけど。
確かくろだ君だった、今どうしているのでしょうか?

やっぱり、やっぱりとは言いたくなかったけど、この時点で駄目だと駄目になる率が上がるのかも。

いま検索かけてみると同じようなこと書いてる人たくさんいるから、ああやっぱりとは思いました。
向いてない奴はこの時点で向いてない。
一応母には、事ある毎に「幼稚園楽しくない」と呟いてみたのですが無駄でした。
親子といえども、母は学校楽しかったサイドの人間だったからです。




最後にちょっと良かった話。

卒園の時に先生が「○○さん、よく頑張ったね~」と言って24色の色鉛筆セットくれたのが印象的。
多分私にだけ(と思いたい)です。
なぜか卒園の後小学校に上がる前、一度園に行く用事?だかがあってその時の話。

ちゃん付けでなく、さん呼び。後当時はまだ(特に子供は)色鉛筆は12色がデフォでした。
覚えている中ではこれが一番良い思い出。





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